コロナ禍の影響でオンライン会議やオンライン授業が日常的になり、ネットショッピングの利用率は以前にも増して上昇しています。
2021年にはデジタル庁が発足し、政府は行政の電子化だけでなく社会全体の電子化を後押ししています。様々なことが電子化されている昨今ですが、不動産の世界も例外ではありません。
不動産業界では、2022年5月18日より不動産取引の電子契約が解禁となりました。
筆者は、不動産会社で宅地建物取引士と行政書士として不動産法務の実務をしていますが、2021年から不動産業界では「IT重説」や「電子契約」といったキーワードが一気にトレンドとなり、各社対応を検討しているところです。
本コラムでは、電子契約の背景にある技術から不動産売買における電子契約のメリット・デメリット、電子契約の実際の流れまで解説していきます。
また、電子契約先進国であるアメリカでよく使われている電子署名システム「DocuSign(ドキュサイン)」についてもご紹介します。
電子契約とは何か?
そもそも、「電子契約」とはどのような仕組みなのでしょうか。どのようにして本人確認や文書が改ざんされていないことを証明できるのでしょう。
「電子契約」を可能にしているのは「電子署名」という技術です。そして、「電子署名」は、「公開鍵暗号」、「電子証明書」、「ハッシュ関数」といった技術から成り立っています。
耳慣れない用語ばかりでイメージがしにくいかもしれませんね。「電子署名」を簡単にいうと、電子化した契約書類を暗号化し、契約書類と一緒に暗号を解除できる鍵(情報)を相手方に送り、相手方はその鍵で契約書類を復元して内容を確認する仕組みです。
電子契約の仕組み【電子証署名】
まず、電子署名の仕組みについて確認していきましょう。
書類作成者は、認証局(CA:Certification Authority)に対して「電子証明書」の発行を依頼します。認証局は本人確認の後、秘密鍵と公開鍵を生成します。秘密鍵で文書を暗号化(文書をロック)し、公開鍵で暗号化された文書をもとのかたちに戻す(ロックを解除する)イメージです。この暗号方式を「公開鍵暗号」といいます。
次に、書類作成者は、電子文書を「ハッシュ値」に変換します。「ハッシュ値」とは、ハッシュ関数で求められる値で、ハッシュ関数では、契約書類のような任意のデータ(平文)を与えると、特定のデータ(ハッシュ値)が返されます。そして、「ハッシュ値」から元のデータ(平文)を復元することはできず、この機能が文書の改ざん防止に役立っています。
そして、書類作成者から電子証明書と書類データが受信者に送られ、受信者は、公開鍵でデータを復元し内容を確認することができます。
電子契約の仕組み【タイムスタンプ】
もうひとつ、電子契約において「タイムスタンプ」という重要な技術があります。
電子契約システムで電子文書をハッシュ値に変換する時、ハッシュ値がインターネットを通じて時刻認証局(TSA:Time-Stamping Authority)に送信され、TSAはハッシュ値に時刻情報を付与したものを発行します。この情報が「タイムスタンプ」です。
「電子署名」と「タイムスタンプ」では証明する内容が少し異なります。
前述の電子署名では次の2点が証明されます。
- 電子文書を誰が作成したかを証明(本人の証明)
- 電子文書が改ざんされていないことを証明(非改ざんの証明)
これに対し、タイムスタンプでは「いつ」という「時」の認証情報を保有することで、次の2点が証明されます。
- タイムスタンプが発行された時点で電子文書が存在していることを証明(存在の証明)
- タイムスタンプが発行された時点で電子文書が改ざんされていないことを証明(非改ざんの証明)
「いつ」「誰が」「何を」という3要素が証明されることで、電子契約が完全なものになると考えられています。
【総務省/電子署名・認証・タイムスタンプ その役割と活用】
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/ninshou-law/pdf/090611_1.pdf
少し難しい話になりましたが、技術的な部分がわからなくても電子契約を利用することはできるので大丈夫です。私たちが実際に目にする電子契約のシステムは、とてもわかりやすく設計されていますので、このような技術を意識することすらありません。
ただ、対面の本人確認ができない電子契約において、セキュリティを確保するためにどのような仕組みが背景にあるのか知っておくと、より安心して契約に臨めると思います。
「IT重説」と「電子契約」の違い
不動産売買の「電子契約」と似たような用語に「IT重説」があります。2021年より、不動産売買では、「IT重説」が本格的に運用されはじめました。
「重説(じゅうせつ)」とは、重要事項説明の略称で、不動産業者(宅地建物取引士)は、売買契約の前に買主に重要事項説明書(35条書面)という書類を交付し、契約内容の説明をしなければなりません。
従来、対面で行われてきた重要事項説明ですが、「IT重説」では、事前に紙の契約書類を買主に郵送しておく等、一定の条件を満たせば、オンライン会議システムを使い非対面で重要事項説明をすることができるようになりました。
ただし、オンラインで完結する完全な電子契約とは異なり、必要な手続きの一部を電子的に行うイメージで、実際には紙の書類の郵送があります。
不動産賃貸借
これまで、不動産賃貸借の重要事項説明書(35条書面)と賃貸借契約書(37条書面)については、宅地建物取引業法により書面の交付が義務付けられていました。
2021年9月にデジタル改革関連法が成立し、宅地建物取引業法の改正により、これらの書面の電子化が認められました。法改正が実施される2022年5月18日以降、不動産賃貸に関する契約業務はどんどん電子化されていくといわれています。
最近では、部屋の様子を動画で紹介している不動産業者のサイトも多くなりました。部屋を借りる時、オンラインでリモート内見し、賃貸借契約は電子契約で締結という流れが一般的になるかもしれません。
不動産売買
賃貸借契約と同様に不動産売買においても、2022年5月18日より、完全電子化が認められるようになりました。
現時点では、不動産売買の電子契約の事例はまだ少数ですが、いち早く電子契約導入を発表したのが野村不動産です。完全電子化が認められた2022年の前年2021年に不動産売買の手続きを電子化すると発表しました。
【野村不動産、仲介に電子契約 全店舗で導入へ】
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2775E0X20C21A9000000/
今後、多くの不動産業者が電子契約を導入することになると思われますが、不動産売買で電子契約か従来の契約方法か、選択する権利はユーザーにあります。
電子契約の前提として、不動産業者は事前に「当事者(契約者)の承諾」を得なければなりません。セキュリティの不安がある等、対面での契約を希望する場合は、従来の契約方法を選択することができます。
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不動産取引の電子契約の現状
不動産の電子契約が進んだ背景には、過去数年にわたる宅地建物取引業法等の改正があります。不動産取引においては、これまで書面の交付や押印が法律で義務付けられてきたため、電子契約ができませんでしたが、2015年頃より、部分的に電子化への取り組みが模索されてきました。
そして、法律の改正とともに忘れてならないのが、電子契約を可能にする技術です。電子署名という技術を使った電子契約システムを導入することで、安心安全な不動産取引が可能となります。法律の改正を見据えて、不動産売買契約、賃貸借契約のための電子契約システムを各社リリースしています。
一般的な電子契約システムとして知名度が高いものとしては「クラウドサイン」、「GMOサイン」、「Adobe Sign」、「freeeサイン」、「ドキュサイン」などがあります。BtoBからBtoCまで電子契約は広い分野で導入が進んでいるので、不動産以外の取引で使用した経験がある方もいるかもしれません。
宅地建物取引業法の改正
2022年は不動産取引の電子契約が解禁になったため、不動産業界のIT元年、DX元年ともよばれています。
2021年にデジタル改革関連法が成立し、宅地建物取引業法等の法律で定められていた書面や押印に関する改正が行われました。この改正をうけて、2022年5月18日より不動産売買の電子契約(完全電子化)が解禁となったのです。
【国土交通省プレスリリース「宅地建物取引業法施行令及び高齢者の居住の安定確保に関する法律施行令の一部を改正する政令」等を閣議決定】
https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001478931.pdf
これまで不動産業界では、重要事項説明をオンラインで実施する「IT重説」の社会実験を実施する等、不動産取引の電子化をすすめてきましたが、法的な規制から完全なオンライン化は認められていませんでした。
しかし、デジタル改革関連法が成立したことで、不動産取引における押印等の義務が撤廃され、すべての手続きをオンラインでできるようになりました。この改正は不動産業界にとって非常に大きなインパクトがあります。
不動産業界の電子化に向けた取り組みや法改正を簡単に振り返ってみます。
まず、2015年の不動産賃貸借契約のIT重説の社会的実験を皮切りに不動産業界の法律はデジタル化に向けて下記のように変化してきました。
2015年8月~ | 賃貸借契約のIT重説の社会実験を開始 |
---|---|
2017年10月~ | 賃貸借契約のIT重説を本格運用開始 |
2019年10月~ | 不動産売買契約のIT重説の社会実験を開始 |
2021年3月~ | 不動産売買のIT重説を本格運用 |
2021年5月 | 「デジタル改革関連法案」可決、成立。ただし、宅建業法は「一定の準備期間が 必要な法律」であるため公布から1年間の準備期間を設ける |
2021年9月 | 「デジタル社会形成基本法」等の法律が施行 |
2022年5月 | 「宅地建物取引業法施行規則」(昭和32年建設省令第12号)等の改正が施行 |
不動産売買の電子契約については、国土交通省が不動産業者向けのマニュアルを発行しています。
不動産業者が必ず守らなければならない「遵守すべき事項」と、可能な限り守った方がよい「留意すべき事項」が定められ、ユーザーの利益を守りながら電子契約が正しく行われるようガイドラインが定められています。
【国土交通省の電子契約やIT重説に関する実施マニュアル】
https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001479781.pdf
不動産売買の電子契約の流れ
実際に不動産売買で電子契約をする場合、どのような流れになるのでしょうか。一般的な電子契約システムを使った不動産売買の事例をみていきましょう。
①不動産業者が契約書類(重要事項説明書と賃貸借契約書)のPDF(電子ファイル)を作成する。
②不動産業者が電子契約システムに電子ファイルをアップロードする。
③不動産会社が契約書類に電子署名する。
④不動産会社から契約者に電子署名の依頼をメール、チャットなどで送信する。
⑤不動産業者がオンラインで重要事項説明を行う。
⑥契約者が電子署名し、締結締結(契約完了)。
電子契約では従来の不動産売買契約とかなり違うことがわかります。④のパートで、不動産会社から契約者に「契約書を確認してください」というお知らせがメール等で届きます(契約書類のPDFが添付されているわけではありません)。
メールには、不動産会社がアップロードした契約書にアクセスするURLが記載されています。契約者はURLをクリックし、電子契約システム内にある契約書類にアクセスし、問題なければパソコンやスマートフォンから電子署名します。その日時が電子契約システムに保存され締結完了となります。
米国での電子契約
数年前、筆者は、アメリカの不動産を購入する時に電子契約システムを利用しました。「DocuSign(ドキュサイン)」というアメリカでもっとも普及しているといわれる電子署名サービスです。
直感的にわかりやすいユーザーインターフェースと仕様でとても使いやすく、不動産エージェントの話では、アメリカ国内の不動産売買の90%以上は、「DocuSign」で契約されているそうです。当時、日本では不動産売買の電子契約はできませんでしたので、アメリカ不動産業界の電子化に感心した記憶があります。
「DocuSign」は、2003年に創業したDocuSign Inc.が提供するアメリカ発祥の電子署名サービスです。本社はサンフランシスコですが、日本にはドキュサイン日本法人があり、もちろん日本語版のサービスがあります。
公式サイトでは「世界180か国以上、100万社が導入、44言語で署名可能、SalesforceやMicrosoft、Googleなど350以上のアプリケーションと連携」していると紹介されています。
不動産だけでなく、金融、メーカー、ITと様々な業界に対応しており、日本国内では、YAMAHA、ユニリーバ、sansan、ブラザー工業といった大手企業で導入されています。
国内の知名度はそれほどではないかもしれませんが、海外では圧倒的なシェアを誇っていますので、グローバル企業を中心に今後、国内での普及が進むと思われます。
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不動産売買における電子契約のメリット・デメリット
不動産売買で電子契約を利用する場合のメリット・デメリットにはどのようなものがあるのでしょう。それぞれを確認して、自分のライフスタイルや考え方に電子契約が適しているか判断してください。
メリット・デメリットを考える以前に前提として、電子契約は、オンライン上で完結する契約なので、安定したインターネット環境は必須です。また、パソコンやタブレットがあった方がよいでしょう。契約書類は枚数が多く、大量のPDFを読むためには、パソコンがあった方が断然楽です。
メリット
不動産売買の電子契約といえば「印紙代がかからない」ということで記憶している人も多いと思います。しかし、メリットはそれだけではありません。契約の場所や時間が自由になること、契約後の書類の保存や検索においても大きなメリットがあります。
印紙代(お金の節約)
通常の不動産売買契約書には印紙を貼付します。6,000万円の物件であれば30,000円、1億2,000万円の物件であれば60,000円の印紙代がかかります。
しかし、不動産売買の電子契約では印紙の貼付は不要です。同じ不動産売買契約であるのに、紙の契約書では印紙が必要で、電子契約では印紙が不要なのです。この点について不思議に思う方もいるでしょう。
その理由は印紙税法の定義と解釈にあります。印紙税法2条に印紙が必要な書類が定義されていますが、その中に「当事者の間において課税事項を証明する目的で作成された文書であること」という一文にあり、課税の要件が「文書の作成」であることがわかります。
この定義によると、電子メールに添付したPDFの契約書や電子契約書は「文書の作成」にはあたらないため、印紙税は課税されないのです。
電子契約が非課税であると、印紙税法の条項に明確に定められてはいませんが、上記のように解釈されており、国税庁のコメントや国会答弁等でも同様の見解が確認されています。
どこでもいつでも契約できる(場所と時間の自由)
これまでの不動産売買契約では、不動産業者の事務所に行き、契約書類に記名・押印をして締結していましたが、電子契約であれば、自宅や旅行先からも契約することができます。仕事の後、職場から契約することも可能です。
不動産業者と調整できれば、始発前や終電後といった早朝や深夜であっても契約ができます。不動産業者が遠方の場合、移動時間の節約にもなります。
また、コロナ禍のような状況では非対面のため感染症対策にもなります。
書類の保管や検索が楽になる(手間がかからない)
不動産の売買契約では大量の契約書類が発生します。これらの書類をきちんと整理保管し、必要なものを必要な時に取り出せるようにするには、かなりの手間暇がかかりますが、電子化されていれば、簡単に検索できるようになります。
区分マンションを購入した場合、不動産会社から渡される書類は約120点、1,000枚にもおよぶそうです。三井不動産では、2022年より、重要事項説明書、売買契約書、添付書類、引渡書類等、購入時の書類を電子化し、買主に提供することを発表しています。
【分譲マンション・戸建ての購入における全書類・諸手続きの電子化を実現へ】
https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2021/0726_01/
デメリット
現時点での電子契約のデメリットは対応している不動産業者が少ないことでしょう。電子契約の導入には、不動産業者の方でそれなりの準備が必要です。法律が改正され、解禁されても一気に導入がすすむかどうかは未知数です。
また、情報が流失するというセキュリティ上のリスクがあります。これはサーバーやパソコンにデータが保存されている以上、可能性として常にあります。
私たちの環境や状況は各自異なりますので、まずは、どのようなリスクがあるか理解することが大切になります。
電子契約できる不動産業者が少ない(不動産業者側の導入コスト)
電子契約ができるようにシステムを導入し、社員が使えるように教育するにはお金も時間も手間もかかります。
電子契約のメリットは不動産業者にもありますが、投資できる余裕のある企業から導入が進むと思われ、規模の小さな不動産業者まで浸透するには、ある程度の時間がかかるでしょう。
ただ、不動産取引の電子化は、顧客にとっても不動産業者にとってもメリットが大きいので、時間はかかっても確実に業界全体に浸透していくはずです。
ウィルス感染やサイバー攻撃による情報流失
自身のパソコンがウィルス感染し保存していた情報が流失するリスクや企業側のサーバーが攻撃され情報が流失するリスクが考えられます。
こうしたリスクは、電子データならではでメリットの裏返しでもあります。ただ、紙の契約書類であれば、紛失というリスクがあるので、それぞれのリスクを理解し、どのリスクであれば、どの程度受容できるか判断することが大切です。
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不動産業者にとっても、書類の入力が不要になり、業務の効率化やペーパーレス化を実現できるメリットがあります。その延長には、今まで以上にリモートワークを取り入れやすくなり、働きやすい職場環境へと変わっていく可能性があります。
このようにユーザーにも不動産業者にもメリットの多い不動産業界の電子化ですが、今後さらにDX(Digital Transformation)化がすすみ、サービスが進化していくと、WEBサイト上で必要な書類をいつでも閲覧できるのは当たり前となり、スマートフォンやパソコンから様々な手続きを24時間できるようになるでしょう。
ただし、不動産業界の電子化はまだ始まったばかりで、現在は電子化への過渡期です。現実的には、前述の野村不動産や三井不動産といった大手が率先して導入し、中小不動産会社がそれに続くかたちになると思われます。
今後、徐々にではあっても確実に浸透していく電子契約は、不動産売買を検討する時の新たな選択基準のひとつになるかもしれません。